はじめに
保存修復分野において広く採用されている光学的調査手法の一つに、写真調査を用いた記録法が挙げられる。この手法は視覚的観察に依拠しているため、情報の取得精度に一定の限界があり、撮影条件、現像処理、使用機材の選定といった複数の要因によって、記録結果が左右される可能性がある。しかしながら、その導入コストの低さに比して、得られる情報の有用性および技術的汎用性は高く、現場における実践的な調査手段として有効である。
一方、可視光、紫外線、赤外線といった各波長域における材料の反応情報は、専門的知識と経験を前提とした解釈を必要とし、その判断は調査者の主観に影響されやすい傾向がある。これまでにも、各光線下における絵画材料の反応特性を示した先行研究や資料は数多く存在するものの、調査の現場において、これらを即座に参照し判断の拠り所とすることは困難である。
本研究では、こうした課題に対する一つの解決策として、異なる波長域における絵画材料の反応特性を、文字および色情報として整理・体系化した反応特性チャートの作成を試みた。本チャートは、従来型の一体構造ではなく、構成要素を組み替えることが可能な可変的仕様とし、使用者が調査目的に応じて柔軟に指標を設定できるよう設計されている。
本稿においては、その開発の経緯および作成プロセス、ならびに実用性について報告する。
経緯
本研究における撮影データの収集は、フィレンツェの国立貴石研究所(Opificio delle Pietre Dure)が発行する修復年刊誌第8号(1996年)に掲載された、光学調査を目的とした絵画材料の色見本試料作成に関する論文(A. Aldrovandiら、1996年)[1] に基づいて行われた。
この先行研究を参照し、油絵具・卵テンペラ絵具・修復材料等を含む500種類の色見本試料を忠実に再現し、その一部を実際の撮影調査に適用した。撮影には、保存修復の現場で広く使用されている写真調査手法のうち、可視光線(カラー/モノクロ)、紫外線蛍光(カラー/モノクロ)、反射紫外線、反射赤外線、赤外線擬似カラーの計7種を用いた。
得られた画像データからは、各試料ごとの色情報およびグレースケールをサンプリングし、それをカラーチャートの背景色として反映させた。また、紫外線蛍光反応については反応の強弱を、赤外線については透過・吸収の度合いを、それぞれ記号化して整理した。これらのデータは、過去の文献資料に記載されている既存データ[2][3][4][5]との比較検証と調整を行った上で、すべて個別のピースとして独立させ、再構成した。
本稿にて提案するチャートは、油絵具51色 × 7種の撮影(357通り)、卵テンペラ絵具48色 × 7種の撮影(336通り)、合計693通りの組み合わせから構成されている(混色・積層の構成および修復材料は除く)。
図1. 色見本試料の撮影画像
本参考画像は、作成した色見本試料(試料の一部:油絵具セクション)を対象に、紫外線および赤外線に感度を有する機材を用いて、異なる波長帯における反応情報を可視化・記録したものである。可視光、紫外線蛍光、反射紫外線、反射赤外線、および赤外線疑似カラーによる各画像を比較することで、複数の素材から構成される各色材の特性や反応の違いを視覚的に把握することが可能となる。
注記:発表当時の撮影データは銀塩フィルムを用いて収集されたが、本参考画像は本稿発表後に、赤外線および紫外線領域に対応したデジタルカメラを用いて新たに撮影したものである。撮影条件の詳細は後述の表に記載する。^1. 使用機材や記録媒体の違いにより、得られた情報にはわずかな差異が認められるものの、全体として同等の傾向を示す結果が得られた。
撮影種類 | 撮影フィルム | フィルターワーク | 撮影光源 |
可視光線 | Kodak E100G Kodak T-max 100 | N/F* (Day light 4900 K) N/F* (Day light 4900 K) | Profoto Pro 5 PB head 1500W: x2 |
紫外線蛍光反応 | Kodak E100G Kodak T-max 400 | Kodak Wratten No.2E + CC40Y + CC20M Kodak Wratten No.2E | Toshiba FL20S BLB 20W: x4 |
反射紫外線 | Kodak T-max 400 | Kodak Wratten No.18A | Toshiba FL20S BLB 20W: x4 |
反射赤外線 | Kodak HIE 135-36 | Kodak Wratten No.87 | Lowel V-Light 500W: x2 (3200K) |
赤外線擬似カラー | Kodak EIR 135-36 | Kodak Wratten No.12 + CC50C | Lowel V-Light 500W: x2 (3200K) |
撮影レンズ:Canon TS-E90 mm / Nikon UV 105 mm
調査対象の色見本試料は、テンペラ絵具・油絵具・修復材料等合計 500 パターン。それに対して撮影 7 種類を適用した。合計で 3,500 パターンの反応情報を収集することが出来た。
図1. 反応特性チャートの見本(一部)
各色を反応ごとに分割したカード型と、各反応を色ごとに一つの立方体に集約した立体型の2種類の形式で作成した。

可視光線カラー
1. 色番号:色番号はOPD色見本資料の試料番号を記載
2. 色材名:色材の名称について記載
3. 化学式:色材の化学式について記載
4. 撮影種:試料の反応を記録するために適用した撮影種類を記載
可視光線:VIS. color/bw 紫外線蛍光:UV-F. color/bw
反射紫外線:UV-R. bw 反射赤外線:IR bw
赤外線疑似カラー:IR color

反射赤外線モノクロ
5.反応:撮影種類ごとの試料の反応の有無について記号化
紫外線蛍光反応:反応強←◎ ⚪︎ △ × ×× →反応弱
赤外線透過吸収:透過強←◎ ⚪︎ △ × ×× →吸収強
6.背景色:各試料の撮影結果の色彩/グレースケールをサンプリングした色を背景色とした。モノクロのデータについてはグレースケールの濃度を背景色とした。

紫外線蛍光モノクロ

反射紫外線モノクロ

紫外線蛍光カラー

赤外線疑似カラー
結論と今後の予定
今回のカラーチャートの形態はカード型と立方体のものを用意したが、より汎用性の高い新たな構成についても検討する余地がある。今回の調査に適用した色見本試料は、イタリア古典絵画材料を中心に再現されたものであり、近代顔料や新しい修復材料のすべてを体系化してはいない。この点に関しては、今後の追加素材によるサンプル作成と情報の補完を行う。また、絵具の混色・積層組み合わせについても反応特性チャートを作成する必要がある。
他に、該当色見本試料の経年劣化に伴う反応の変化についても追跡調査と、異なる撮影条件(光源・フィルム・フィルター作業・デジタル撮影技術の適用)による結果検証も含めた、継続的な情報収集を行う予定である。^2.
本稿の内容は、文化財保存修復学会第30回記念大会(2008年5月24日~25日、太宰府市中央公民館および九州国立博物館)におけるポスターセッションで発表された研究「光学調査における実践的カラーチャートの提案」に基づいています。本稿は、発表者本人により再構成・掲載されたものであり、非営利目的での情報公開を目的としています
参考文献
- A. Aldrovandi, M. L. Altamura, M. T. Cianfanelli, P. Ritano, I materiali pittorici: tavolette campione per la caratterizzazione mediante analisi multispettrale, OPD Restauro, n. 8, 1996, pp. 191–210.
- R. De La Rie, Fluorescence of Paint and Varnish Layers. Part I, II, III, Studies in Conservation, vol. 27, 1982, pp. 1–7, 65–69, 102–108.
- W. Clark, Photography by Infrared, Chapman and Hall, London, 1939.
- Kodak, Applied Infrared Photography, Kodak Publication No. M-28, Eastman Kodak Company, Rochester, NY.
- R. Williams, G. Williams, Medical and Scientific Photography: An Online Resource for Doctors, Scientists, and Students, available at: https://www.medicalphotography.com.au/ (accessed April, 2007).
追記
^1. 色見本試料の撮影条件(デジタル)
撮影種類 | フィルターワーク | 撮影光源 |
可視光撮影画像 | B+W UV/IR-CUT | Profoto Pro 5 PB head 1500W: x2 |
紫外線蛍光撮影画像 | Kodak Wratten No.12 + B+W UV/IR-CUT | Toshiba FL20S BLB 20W: x4 |
紫外線疑似カラー撮影画像 | B+W UV/IR-CUT (Visible component) | Profoto Pro 5 PB head 1500W: x2 |
Hoya U-360 (UV component) | Toshiba FL20S BLB 20W: x4 | |
赤外線疑似カラー撮影画像 | B+W UV/IR-CUT (Visible component) | Profoto Pro 5 PB head 1500W: x2 |
Kodak Wratten No.87 (IR component) |
Kodak DCS760/ Tochighi Nikon UV 105 mm *
^2.結論と今後の予定
今回のカラーチャート作成における研究は、2007年に発表したものです。当時、写真技術は銀塩フィルムからデジタル技術への移行期にあり、デジタルカメラの解像度や画質については一部の高額な機材を除き、銀塩フィルムから得られる画像と比較して評価が分かれる時期でした。デジタル技術が普及し始め、フィルムに取って代わる手前の黎明期であり、同時に銀塩フィルムは市場や現場から徐々に姿を消していく時代でもありました。銀塩フィルムは最盛期を迎えており、市場には目的に応じた多種多様なフィルムが数多く存在し、それに対応する現像プロセスも多岐にわたり、現像に必要な化学薬品や手順を提供するラボも多数存在していました。
筆者が参照した文献資料でも、様々なフィルムや現像プロセスの選択肢が提案され、特に不可視光線領域の撮影や現像プロセス、印画紙へのプリントにおいては、最適な結果を得るために多くの組み合わせでテストが行われていました。筆者らも専門家の協力のもと、特に不可視光線の撮影方法とフィルムの現像およびプリントについて、様々な薬剤やプロセスの組み合わせをテストして、最適な結果が得られる方法を検証しました。この内容については機会があれば記録として残す予定です。このような技術的努力が行われた時代から、デジタル機材が発展した現在においては、撮影機材の解像度や画像処理技術により、結果のクオリティは機材の性能によって大きく左右されています。現在では、デジタル画像処理が中心となり、フィルムによる撮影現像プロセスは過去の技術として位置づけられています。しかし、過去の銀塩フィルムによる撮影技術や現像プロセスの知識は、今後のデジタル技術への応用や、より高度な撮影技術の研究においても貴重な資源となると考えています。
今後の研究では、デジタル技術を用いた画像処理を中心に、当時のフィルムによる技術や理論を参考にしつつ、より高精度なカラーチャート作成や新たな撮影手法の開発を行っていきたいと考えています。また、デジタル技術の進展に伴い、可視光線から不可視光線領域にわたる広範囲な波長帯での情報収集が可能となり、これまで以上に精密な分析とデータ取得が実現できることが期待されます。
関連項目
・「紫外線蛍光・反射紫外線画像を用いたマルチスペクトル疑似カラー画像の構成」、濱谷聖、文化財保存修復学会第31回大会
・「調査撮影における新たな指標としての色見本試料の提案」、濱谷聖、文化財保存修復学会第32回大会
謝辞
本研究の遂行にあたり、独立行政法人情報通信研究機構(NICT)より機材の提供および技術的支援を受けたことに感謝する。
また、色見本試料の作成にあたり、ランビエンテ修復芸術学院の協力を得たことに感謝する。